隼人龍の神石

薩摩隼人に巨大龍現わる!
〜西郷どんの故郷、鹿児島に龍を見に来たもんせ〜

2000年11月、まったくの彫刻を行わず、自然石にそのまま彩色し、全長150メートルの龍を描きました。
さらに2001年2月、霧島神宮・明治神宮・北海道神宮よりみ霊を賜わり、『龍の神石(かせき)』として誕生しました。

ライトアップによって闇に浮かび上がる姿は、今にも動き出すのではないかと通る人を立ち止まらせています。
どなたでもご見学いただけますのでお気軽にお問い合せ下さい。

御山より自然石の龍が夢に現れ、浮きし岩に彩附け再現し全長150メートルにもおよぶ龍神となる。これに神命酢・長命酢をご利用下さいます方々が健康で龍神の力にて願う真心。(この龍は当初ツノの部分が無く悩み眠りし夜に山下芳文の亡き母が龍の頭の上に現れそこを掘ったところツノの部分の岩が出現し龍神となる)

人間ある人にはある心と、霧島神宮・明治神宮・北海道神宮へ祈願し龍神へ人類が健康で幸せに生きていく事を願い入魂する。

画:高橋 アキラ
制作:山下 芳文・山下 広文

隼人龍の神石

日本古来の「愛と勇気と大和の精神」
その源は、一万年以上続いた縄文精神の薩摩隼人の魂に宿る。

この地には、上野原縄文遺跡群、そして「熊襲の穴」と 呼ばれる聖域がある。 かつて大和朝廷から来た小碓尊(オウスノミコト)は熊襲タケルと相まみえ、戦いを越えて心を通わせ、その名「タケル」を受け継ぎヤマトタケル(日本武尊)となり、熊襲隼人の精神を引き継ぎ、今日の大和魂の元の流れとなった。

二千年の時を経て、その絆は「隼人龍の神石」として甦り、その姿は全て自然石ながら隼人の盾の陰陽の渦巻と同じ形状となった。そして天地を結ぶ『和』の象徴として輝く。この地で和龍は誕生したといえる。

二〇〇〇年十二月、わずか二週間で完成し、翌年には北海道神宮・明治神宮・霧島神宮の御神霊が入魂され隼人龍は神社として祀られることとなった。

隼人龍ができるまで

神命酢・長命酢・ヘルシンをお使いの方々が、いつまでも健康でありますよう願いを込めて出来上がりました。

隼人龍ができるまで1
隼人龍ができるまで2
隼人龍ができるまで3
隼人龍ができるまで4
隼人龍ができるまで5
隼人龍ができるまで6
隼人龍ができるまで7
隼人龍ができるまで8

入魂式の様子

平成13年2月18日「隼人龍」への入魂式が行われました。

入魂式の様子1
入魂式の様子2

神起こし

毎年1月1日には、初日の出と共に日本太鼓(ひびきの会)による「神起こし」を執り行っています。

大隅石(Osumi lite)

大隅石(Osumi lite)は、大隅半島と桜島が近接している咲花平(早崎)の流紋岩の中から発見されました。現在は採集が困難なものです。

1953年に都城秋穂が新鉱物大隅石として報告しました。

これは西日本では最初、日本では7番目の新鉱物です。その後、隼人町清水、入来町でも発見されています。

石碑の由来

この石碑の由来は、古来此処隼人町野久美田字破戸脇の国道十号線沿いの山中にあって、神功皇后三韓平と云う旧五月五日の端午の節句に富隈校区の児童等が夜中の二時頃から粽(ちまき)を藁(わら)づとに包んで背負い、神功皇后三韓平と書いた旗を押立て、法螺貝を吹き鳴らしながら熊野神社から鑰島(かぎしま)神社に参拝した。

そして背負った粽をこの石碑に投げつけて解散するという年中行事が戦前迄続けられていた。

三韓征伐に因んだ慰霊碑か記念の碑かは確かで、建立年月は不明である。
又、三韓征伐に従軍した遺族の方達が適に参拝したとか古老より聞く。後に山下芳文氏の宅地となり、守護神として祭られ、平成十二年現在地に遷座さる。 

神主 斜木儀光(由来人)